蔦学園沿革

 蔦学園の歴史は、大正7年(1918年)4月、徳島県三好郡池田町(現在は三好市池田町)で和洋裁、手芸、作法等を教授する「蔦裁縫実習所」を開設したところから始まります。

 

 昭和初期には、生徒数も年を追って増加し、蔦裁縫実習所の価値も広く世間の認めるところとなったため、昭和9年(1920年)各種学校法令による公認学校、「私立池田裁縫女学校」となりました。

 

 しかし、戦時中には国の方針に従ってやむなく裁縫学校を閉鎖し、改めて「私立女子商業専修学校」を設立、主として商業簿記経理を教授し、卒業者を銀行、会社等の職場へ送り、男子に代わって銃後の守りを固めたとの記録もあります。

 

 戦後は、旧の和洋裁縫に戻し、昭和23年(1948年)には6・3・3制の学制改革に伴って、学則を大幅に改め、校名を「池田高等家政学校」とし、昭和51年(1976年)1月専修学校法制度が施行され「池田家政専門学校」として認可されました。

 

 平成4年(1992年)頃から少子化の言葉が日常的に聞かれるようになり、和洋裁技術の習得を目的とした家政専門学校への新規入学者は減少の一途をたどり始めました。一方高齢化社会の到来により趣味、特技としての和洋裁、着付け、茶・華道に興味を持つ「シニア」「シルバー」層が増え始めました。

 

 これら時代のニーズに応えるため、平成25年(2013年)4月1日、学校教育法下を離れ、新たに「蔦学園」として、地域の皆さんが身近な所で確実な技術を習得でき、さらには、イキイキとした生活を送るための生涯学習の場を提供し始めました。

 

 蔦学園が裁縫実習所開設以来105年の永きにわたり存続できたのは、一貫して地域の子女に家政実践教育の場を提供するという本質を忘れず、時代々々に応じて学校の形を変化させてきたからであると考えます。